《日本星空秘境探訪 1 : 星空》

ここは日本のどこかにある秘境。街からも遠く離れている上、3方向を太平洋に囲まれている。夜は果てしない闇が訪れる「もののけと星」が主役の世界。そんな場所には魅力的な風景があるものです。灯台・神社・古代の遺跡・自然の地形・・・どれくらい前からこの場所にあったのでしょうか・・・。
社殿から海に向かって延びる参道は、かつて道が無かった時代に舟で参拝するためだったらしい。入り江に囲まれたこの海は波も穏やか。夜になると闇と静寂に包まれます。一方、入り江の外は荒々しい太平洋の波が岸壁に押し寄せます。断崖の先端に立つ白亜の灯台が、航海の安全の為に夜の海を照らすその光は38km先まで届きます。荒々しく打ち寄せる波は、時に断崖の岸壁を削り取り、何万年も時間を掛け独特の地形を創り出します。いつしか大きな穴となったその先には、天の川が見えていました。
ここは日本のどこかにある秘境。絶景と満天の星がいつでもあなたの来訪をお待ちしております。さぁ、旅に出掛けましょう!

VR映像仕様

映像解像度 映像タイプ 音声 時間 ライセンス
4K 8K 12K 16K 2D 3D 2ch 10:00 
     


古代の巨石遺跡



白亜の灯台

外洋に向かって突出した岬の断崖の端に、真っ白な灯台が立っている。100年以上前から光を灯し、船の航行の安全を見守り続けてきている。発せられる光は強く、海上38km先まで届けることが出来るという、 国内でも最大級の灯台の一つに挙げることができるそうだ。断崖に太平洋の荒波が絶えず打ち付けている。 ここは断崖の上に位置しているから、視界はとても良く開けている。右から左まで水平線が途切れることなく円弧を描いている。 日没を迎えると灯台が光り始める。この灯台は、18秒を隔てて12秒間に3回白い閃光を放つ群閃光型である。灯台にも様々な光り方があるようで、単純にクルクルと廻っているものだけではないようだ。
空の暗くなってゆく段階にもそれぞれ名称がある。まずは「市民薄明」といわれる段階。 太陽が水平線(地平線)の直下にある状態から、-6度に達するまでの時間帯である。この状態ではまだ充分に明るく、照明が無くても屋外で行動に支障を来さない明るさである。 次に-6度を超えると「航海薄明」の段階に移る。海面と空の境界が見分けられる程度の明るさが残っている状態。 さらに-12度~-18度の段階を「天文薄明」と呼ぶ。この状態では空は充分に暗く。条件が良い場所では肉眼で6等級の星まで見ることが出来る暗さを示している。
夕方から夜に向かっていく薄明の境界は、あまり良くわからない。漠然と暗くなったという印象しかないのだが、逆の夜から朝に向かっていく薄明の境界は割りと正確に気付く。 ずっと闇にいて開ききった瞳孔は、空の微妙な明るさの変化を関知することができる。それほど、人間の目の光りに対する感覚精度は高いのである。
灯台が照らす海の更に先にある水平線と空の境界が曖昧になってきた。そろそろ空が満天の星で埋め尽くされる時間である。

古代の巨石遺跡

世界各地に巨石文明やその遺跡が確認されている。それらの中には、いつ・だれが・何の目的で・どうやって作ったのか、全く見当も付かない遺跡もある。 あまりにも巨大な石を積み重ね、緻密な加工を施されたそれらの遺跡を作り上げるには、2万5千年~1万2千年前の古代の時代に未知の高度な文明があったという説も唱えられている程である。
ここもそんな謎の多い巨石遺跡である。山腹に突然ここだけ巨大な石が露出しているのである。 周辺には、フランスのカルナック列石に酷似した遺跡も見つかっており、何らかの人為的目的により作られた可能性も示唆されている。 ただ、ローカルな調査が行われただけで、本格的な調査は行われておらず、謎というロマンに包まれたパワースポットであることには間違いは無い。 縄文時代からこの周辺に人が住んでいた形跡も有り、何らかの儀式のようなことがここで行われていた可能性は高い。実際に登ってみると、眺めがとても良い上に、空が広く開けている。 おそらく古代とそう変わらない景色が広がっているように思えてくる。ここで満天の星を眺めていれば、古代人の世界観を感じ取れるかも知れない。

絶景すぎる最果ての場所

ここは「最果て」と言っても地理学的な意味での最果てではない。心理的というか時間的な意味での最果てである。あそこに見えている小さな島は、今は立派な道路で繋がり容易にゆくことが出来るようになった。 この島の海は、限りなく透き通り透明度は40メートルに達する程である。海に浮かぶ船が海底にその影を落とすほどに透き通っている。そんな島を見下ろす山の上の展望台に立っている。 ここに来る道はなかなかハードだった。島へ向かう立派な道路から逃れるように分岐する道は細く、そして暗い。この道が、かつては島へゆくための唯一の道だったというのだから、地理的な最○端の地を訪れるよりよっぽど最果てである。 道はウネウネと山を這い上がるように続いてゆく。あまりにも細いので、万が一、前から車が来たら離合するには相当のテクニックが求められそうだ。そして、謎の分岐が道を迷わせる。あまりに微妙すぎてカーナビもグーグルも「?」である。 右に行くべきか左に行くべきか、それは究極の選択。間違ったら先は崖か泥んこか・・・ということは無いのだが、道を間違えたと気付いたとしても、どこでUターンできるか全く分からない、そんな暗さと狭さが延々と続く。
透き通る海の絶景は夜に見ると、真っ黒である。透明という表現は光があってこそ成り立つ話で、いくら満天の星の下でも黒である。 それでも光はある。眼下には島に暮らす人々が作る慎ましやかな夜景の光、そして見上げれば満天の星の光・・・ここは絶景すぎる最果ての場所。



神社と海



巨大な穴

目の前には、高さは50メートルにでも達するような巨大な岩盤がそびえ立っている。そのちょうど真ん中あたりの下の方にポッカリと大穴が空いて、波が打ち寄せてくる。 長い年月をかけて波が浸食した海蝕洞である。かなり大きな穴なので、向こう側のよく見える。方角的にはちょうど南に向かって穴が空いている。 こういった人知の及ばぬ自然の造形は、昔から信仰の場所になっているものである。今風に例えるならパワースポットと言った所だろうか。 実際、この洞門の最上部には白山信仰のお社が鎮座しているらしい。確かに登り口はあるのだが、なかり危険な難所のようで登らずに下で参拝するようにと、書かれた看板が立っていた。 おそらく洞門の上部の幅はそれほど広くなく、手摺りも鎖すらもない状況は容易に想像が付く。こういった所は、登りはわりと軽く登れるのだが、下りでえらく後悔することがおおいものである。
夜、闇の中、目の前には立ち塞がる巨大な岸と、絶え間なく打ち寄せる波の音・・・ 星を見るのには、あまり精神的に落ち着く場所ではない感じもするが、勇気を振り絞って目を開けてみよう。 巨大な穴ぼこの前に立ち、穴の向こうに見える夏の天の川が・・・おわかりいただけただろうか。

断崖絶壁の岬

この岬では、落差100メートルを越す断崖絶壁が続いている。あまりにも知られていない場所ので誰もいない。そして普通では行けないような所まで降りることが出来る。 至って綺麗に整備された公園風の岬で、これだけ広いエリアがきちんと草がボーボーにもならず維持されているから逆に驚きである。 なんでここがそれほど知られていないのかは、主要道路からかなり遠いという事だろう。あとは、近隣の有名どころ「岬」を優先していしまい、ここはいつのまにか旅程の意識からどこかに消えてしまうのだろう。
この周辺には、リアス式の地形と海を利用して、ハマチや真珠の養殖が盛んに行われている。僅かな平地部や谷間に海岸に沿って集落が点在している。
いま立っているこの場所は、南に向かって急激に傾斜している斜面の真ん中当たりである。遙かしたの入り江に白波が立っているのがよく見えている。 外洋からはすこし奥まっているから、あまり強風に悩まされることも少ないかも知れない。いい感じに斜面になっているので寝転んで夜空を見上げるにはちょうどいい。

海からの参道

当たり前のことではあるが、昔は今ほど道は整備されていない。むしろ、よっぽどな僻地辺境にすら舗装された道が通っている今が凄すぎるのでは、とも思うが・・・ 以前ニュージーランドを旅したときにも、だいぶ車で走り回った。とても快適な道路が続いているのだが、「ここから先は、あんまり人も来ないんじゃね?」という場所からいきなり未舗装の砂利道に変わっているのである。 その砂利道が延々と何kmも時には数十kmも続いているから、これはこれで凄いことである。
この場所も今ではアスファルトの道を通って来る出来るが、昔は道なんて無かった場所である。そんな所に神社を建てて、どうやって参拝しに来たのかというと、目の前の海を舟で渡ってやってきたらしい。 なので船着き場に直結で参道が繋がっているのである。いま見ると「なんと趣深い(最高にエモイ)」と感じる光景だが、その当時は「神社直結、徒歩0分!」みたいなノリだったかどうかは、想像にお任せする。 境内はこぢんまりとした様子で、本殿・幣殿・拝殿が並んでいる。いずれも国の重要文化財指定である。目の前の海は、完全に内海の入り江なので湖のように穏やかである。 小さな波を立てているのは、たまに行き来する船の波紋くらいなもの。 ほんとうに静かな所である。